ふり向けば加藤さん

わたモテ感想&考察

【感想】喪144:モテないし名前で呼び合う

ここんとこずっと最終話クラスの話が続いてましたが、ついにトドメの一撃が飛んで来ました。しかも、それが新たなラッシュの起点にもなってるんやからもう手がつけられません。エモの嵐、百合の波濤にどつき回される我々は、あたかも末期の笑みに踊り狂ってるように見えることでしょう。散り際を弁えた紅蓮のようでもあります。

そんなわけで私はもう駄目です。今からほぼほぼ半ば遺言に近いような意味合いのことを語ります。

 


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朝の一発目から不発。気を張れば張る程に言いたくて仕方なかった言葉が言えない。GW中にどんだけ思い詰めたのかは想像に難くないし、これから途方もない困難が彼女を襲うであろうことはもっと容易に想像出来る。

しかし、傷つきゆく彼女から目を背けてはいけない。今回の肝は前半の失敗の連続にこそある。神は細部に宿り、わたモテは苦難の歴史に宿る。喪144は、そんなわたモテという作品を象徴するエピソードである。

 


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登校中一度も名前で呼べず、学校に着いたら今度は話しかけることさえ出来ない。「あせらなくても」と言いつつ真子に生返事する様は明らかに焦っている。

既に散々頓挫しているとはいえ、焦る必要がないのは事実である。どうせ放課後には一緒に帰るのだから、その時に落ち着いて呼べばいい。

だが、それでは意味がない。智子は勇気を出して名前で呼んでくれた。それに応えるには、流された末ではなく主体的に決断してこそ。それが本心ではわかっていながらイヤホンに逃げてしまうゆりの心は早くも疲れを見せはじめているようである。

 

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更に追い討ちをかけるような席替え。事態は刻々と悪化している。

そんなゆりに対し、クロ、真子、吉田さんと3人も名前を挙げて煽るネモ。もちろん「根元さんがいるから寂しくない」などという答えは期待していない。単に塩対応を確認するだけの儀式である。「田村さんに嫌われてない」かしつこく確認してた頃と比べると格段に距離が近い。

しかし、当のゆりはそれどころではない。微かに勢いのついた「トン」が「お前の相手をしてる暇はない」というイラ立ちを物語ってる。

機を窺っていたら本当に手遅れになる。もう四の五の言っている場合ではない。


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予鈴と同時に立ち上がり、ツカツカという歩みも勇ましくもこっちへの接近を試みる。普段なら絶対にやらない行動である。

しかし、周りが見えていない状態で極端な動きをするのは危ない。案の定、もこっちは和田と喋ってるし、吉田さんは寝てるし、真子は南さんに取られて完全に身動きが取れなくなってしまう。

「もうこれしかない」ぐらいの捨て身で飛び出したのに、どうにもならなさを再確認するだけだった。ゆりが無表情なのでスルーしそうになるが、初期もこっちならケチョンケチョンに心が折れてるレベルの無力感漂う場面である。何でこんな簡単なことが出来ないのか、と自分の人間性の根本にすら立ち返ったかも知れない。周囲を見回して孤独に苛まれるムーブは焼肉回でもやってたけど、今回は自分からアクションを起こしてる分ダメージが大きい。

 


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ついに昼休み。いよいよ後がない。しかし、ゆりはまだ諦めていなかった。焦燥、閉塞、失意を一身に受けつつも次のタイミングを探っている。何が彼女を支えているのか。言うまでもなく智子が名前と共に託してくれた勇気である。それさえあれば何度でも立ち上がれるし、それを「完成」させるまでは死ねない。

万策尽きた。残り時間も僅か。私、智子、名前。それらが全てで余計なものは何もない。今、田村ゆりはある意味限りなく無敵に近い。

 


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どれだけ傷ついても、卵を守る親鳥のように必死で暖め続けた感情。智子からもらった大切な感情。挫かれる度に膨れ育った感情の塊に命が吹き込まれた。

しかし、それは出されるタイミング、文脈、言い方、全てにおいて場違いであった。そこはかとなく「誓います」みたいな雰囲気さえ漂っている。しかも、衆人環視の中で。こんな事実上の交際宣言みたいな発言に即応出来る程もこっちは覚悟が決まっていない。いきなり過ぎるし、志望校を変更した後ろめたさもあるし、何より死ぬ程恥ずかしい。

 


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これは流石に怖気づく。GWからずっと気を高め続けていたゆりと違って心の準備が出来ていないのだから当然である。しかし、自分の世界に没入し切ったゆりにはそれがわからない。頑張って大事に育てた卵を差し出して「あなたの子よ」と言ったら認知して貰えなかった、みたいな話である。何かの間違いだったの?全部嘘だったの?とでも言いたげな顔をしている。

唯一信じられるものに裏切られた以上、もう何も見たくないし聞きたくない。ゆりは何も言わずに放課後の教室を立ち去った。

このような行動に及ぶ田村ゆりは「めんどくさい女」なのだろうか?ゆりは悲しいことがあると一人になろうとする癖がある。喪124で先に帰ると言った時、焼き肉回で一人で帰ろうとした時、ネズミーでトイレに行こうとした時を思い起こして欲しい。これらは別に構って欲しくてやったことではない。構ってちゃんというのは、多くの場合構って貰える勝算があった上で強かに立ち回っている。ゆりにはそんな自信も器用さもない。ただただ悲しくて何も出来なくなるだけなのだ。次に上げるコマの「!」も全く慰めを期待してなかったことを示している。したがって、ゆりは少なくとも意図的にそう振る舞う「めんどくさい女」ではない。それにめんどくささで言えば嵐山に失踪したもこっちの方がはるかにめんどくさいことをしている。


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以上を前提に見ると、「意外と近かった」のはゆりがわざとゆっくり歩いたからではない。単純に力が入らなくてトボトボ歩いていたか、もこっちが無意識に速く走った(髪の乱れ方的になくはない)かのどちらかだろう。いずれにしてもようやく嵐山での借りを少し返すことが出来た。


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超珍しい主人公以外の大モノローグだが、そこに含まれる情報量はあまりに少ない。たったこれだけ。その「たったこれだけ」という所に意味がある。ゆりが何度失敗しても立ち向かったことは、名前で呼んでくれたことへのお返しという些細な理由のためだった。名前で呼び返す、名字で返される、そんな小さな出来事がゆりにとっては大事件だった、というのが今回の尊さポイントである。他に様々な動機が含まれていたら、前半の彼女の健気さ、中盤の悲しみが正しく伝わらない。

わたモテ読者が毎話必死こいて骨までしゃぶり尽くそうとする猛者達であることはTwitterの反応等から谷川先生も最早ご存知のことと思われる。しかし、今回ばかりは深読みされると困る。そこで、異例の措置として大ゴマによるナビゲーションを考えつかれたのではないか。

という風に思わせて欲しい。それぐらい私にとってこのコマは衝撃だった。

 


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こんなちょっとしたことで塞ぎ込んでいるなんてことはゆりにとって「言いたくない」ことであった。この辺からも「重い女と思われたくない」、そう思われて嫌われるぐらいなら黙って姿を消した方がマシ、という思考回路が垣間見える。

そんなゆりの様子を見て「!」と何かに気づいたもこっちが攻勢に出る。この一連の「生理でしょ」発言の主眼は何であろうか。仮に薬屋に連れていくことが目的なら「ナプキンとタンポン」の下りは不要である。そんなことを聞いて何になるのか。そもそも身体を労る時に言うセリフではない。では、純粋にナプキン派かタンポン派かを確認したかったのか?そんなわけがない。もこっちが本当に発したかった言葉は、絶対に神に誓って「ゆ ゆりちゃん」である。他の部分は名前を呼ぶ為のおまけに過ぎない。あるいは下ネタは照れ隠しだったのかも知れない。

さっきのゆりも大概だが、もこっちも負けず劣らずアレだった。しかも結構キツめの下ネタをぶっ込んどきながら相変わらずどもっている。もこっちもまだまだ恥ずかしいのだ。しかし、もこっちがたかが名前で呼ぶだけのことをご大層に恥ずかしがっているということ、それでも勇気を振り絞って呼んでくれたということは、ゆりにとって何よりの福音である。自分の独りよがりではなく確かに同じ気持ちを共有していることを確認出来たのだ。こんな時に言うべきセリフは1つしかない。

 


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そう、「バカ」もとい「智子大好き」である。

田村ゆりは「わかってくれる」のを待つタイプの少女ではない。むしろ、笑ってるのに「笑ってないよ」と言い、泣いているのに「泣いてないよ」と言い張るレベルで感情(弱み)を隠そうとする習性がある。それは彼女が臆病で自信がなく、とても傷つきやすい性格をしているからだ。特に今は悲しいと思ってしまったこと自体を恥じているし、そこに触れられることを何よりも避けようとしている。つまり、今回の場合は「名前で返してくれないのが悲しかった」ことを察知しない、もしくは見て見ぬフリをすることがハッピーエンドへの必須条件だったのである。

そこへいくともこっちの対応はどうだったか。ナプキンだの生理だのと突飛なセクハラをする様からは、ゆりの心を覗き見た形跡は見当たらない(実際どうだかはわからないが)。それでいて、名前で呼ぶ、呼び返しやすい雰囲気を作る、という根本的解決まで果たしている。

これはもう神業と言ってもいい。手を触れずに目隠しして爆弾を解除するようなものである。よっぽど命知らずのバカでなければこんな真似は出来ない。そんな智子はゆりにとってバカで大好きでバカだから大好きなのである。そして、そういうゆりも実は大概ズレてるというか、もうはっきり言うとバカである。バカとバカがお似合いのバカップルになった。こんなおめでたい話があろうか。

 


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最後に、完全にフィーリングだけで語るが、「恥ずかしい」の解釈について。智子は「(みんながいる時に)急に」というタイミングの悪さを持ち出して、「自己の主観的感情」を述懐している。これに対して、ゆりは「根元さんとのやり取り」と比較して「行為の客観的態様」について反論している(話が噛み合ってない)。ここでゆりが否定しているのは、シチュエーションとは切り離された「呼称の不自然さ」である。「私と智子が名前で呼び合うのはちっともおかしくない」と言っているのだ。それがどういう意味かは今更述べるまでもないだろう。

画面構成の見事さにも触れておく。このコマはやや俯瞰の構図になっており、じっと見続けてると並んで歩いているというより、浮かんでいる、昇っているような錯覚に陥る。また、上の方だけタイルの目地が残っていることで逆に中央の空白が目立ち、二人が光に包まれているかのような印象を受ける。そして、両側から穏やかに伸びる木々の影はおそらく実際にはさやさやと揺れており、祝福の演出に一役買っている。更に、カメラをかなり引いているため空間がだだっ広く映り、下校時間というのに人の気配を感じさせない。

はっきり言ってこの世の景色ではない。「やっと二人きりになれたね?」「これで私達に邪魔は入らないね」というかつての会話が具現化したとしか思えない。

忘れているかも知れないが、これは二人の少女が名前を呼び合うお話のラストシーンである。単なる名前を呼び合うという行為にここまでの壮大な意味が備わったのは、物事を過大に思い詰めるゆりの性格に起因している。この楽園の光景はゆりの悲しみの深さがそのまま裏返ったものなのだ。

頑張ろうとしたのに何もかもが上手くいかなかった。しかし、それでも前に進み続けたことは無駄ではなかったし最後には報われた。そして、苦難を乗り越えた分だけその先の景色は美しかった。

現実がどうだかは知らないが、これはわたモテにおいては世界の法則でありテーマである。

改めて言う。喪144は、そんなわたモテという作品を象徴するエピソードである。(了)